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浅古(あさこ)の一古墳〔桜井市浅古〕
 

 1963 年に、桜井市浅古で土取り工事の最中に古墳が破壊された。横穴式石室の奥壁と推定される場所の土の中から、ほぼ完形をとどめる須恵器の装飾付器台のほか、ミニチュアの移動式竈(かまど)、馬具類、鉄釘などの遺物が収集された。
 装飾付器台(そうしょくつききだい)は、7個の蓋をかぶせた坏をのせたものである。高さは20.6㎝、器台部口径は27.4㎝を測る。器台脚部(きゃくぶ)に2段の方形透かしを3方向から穿つ。器台口縁部(こうえんぶ)から脚部にかけて丁寧に櫛描波状文(くしがきはじょうもん)が施されている。類例の乏しいものであり、その形態も美しい優品である。装飾付須恵器の出土例自体が極めて少なく、平群町烏土塚(うどづか)古墳(6世紀後半)・大淀町石神古墳(いしがみこふん)(7世紀前半)に、坏を上にのせた子持器台の出土例が知られる。
 ミニチュア移動式竈は、渡来系集団と関連する遺物と捉えられている。県内では飛鳥地域の桧(ひの)隈(くま)周辺や貝吹山周辺、葛城山・金剛山東麓部、鳥見山(とみやま)周辺など特定地域で、竈・鍋・甑の炊飯具のセットの副葬がみられる。本例も鳥見山北側の集中地域の一事例である。馬具は、細片化していたが、金銅装のf字形鏡板(かがみいた)、剣菱形杏葉(けんびしがたぎょうよう)、鉄製輪鐙(てつせいわあぶみ)などがあり、優品の馬具が副葬されていたことが知れる。
 古墳の築造年代は、6世紀初頭と考えられ、ごく初期の横穴式石室であったと考えられるが、その構造が不明な点は惜しまれる。

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